名作童話「ごんぎつね」の物語の背景
児童文学『ごんぎつね』は、新美南吉(1913-1943)の代表作で、彼が18歳の時に執筆し、1932年1月に出版されたものです。
ごんぎつねは筆者が村の老人から聞いた話という形で物語が始まり、「城」、「お殿様」、「お歯黒」といった言葉が出てくることから、江戸時代の幕末から明治時代初期の出来事を描いていると考えられます。 ごんぎつねの舞台は、作者の新美南吉の出身地である愛知県知多郡半田町(現在の愛知県半田市)岩滑(やなべ)地区の矢勝川や、隣の阿久比町にある権現山を舞台に書かれたといわれています。 南吉が、この物語を執筆したのは、わずか17歳(1930年)の時でした。
この物語は、彼が幼少のころに聞かされた口伝を基に創作されたものです。 新美南吉は4歳で母を亡くしており、その幼少期の孤独さが物語創作に深い影響をもたらしたと考察されています。
1932年にはじめて出版された『ごんぎつね』ですが、以下のように物語にはいくつかのバリエーションがあります。
・元猟師の口伝として存在したオリジナルの『権狐』
・新美南吉が口伝を物語にまとめた草稿の『権狐』
・『権狐』を鈴木三重吉が子供用に編集した『ごん狐』
小学校の国語の教材や絵本で一般に親しまれているのは最後の『ごん狐』です。つまり、わたしたちの多くが教科書で読んで知っているごんぎつね(全文はこちら)は鈴木三重吉(すずきみえきち、1882-1936)という小説家・児童文学者が編集したものだったのです。また、現代では小学校国語科の教科書に載っている『ごんぎつね』というひらがな表記のタイトルが最も有名ですが、もともとのタイトルは漢字表記で『ごん狐』でした。
鈴木三重吉の行った編集は、全国的な物語の普及を目的としていました。最も大きな変更点は、ラストの権の贖罪とその物語中での位置づけを強調した点です。
さらに、語り手の存在感を薄める、場面の単純化、表現の一般化、地域性の排除など30数ヶ所の編集を行いました。
ごんが目を閉じたままうなずく、有名なラストシーンの草稿は「権狐はぐったりなったまま、うれしくなりました。」であったのですが、この部分も編集されており、登場人物の心情描写も変更されています。
その結果、近代的な童話として普遍的な共感をもたらす作品として完成し、現在のように日本国民の大半が知る物語となったのです。
その一方で、新美南吉の草稿の『権狐』に含まれていた当時の社会情勢(部落有林の国有化による猟師の廃業など)の光景や口伝的要素、地域色(方言の標準語化など)、特徴ある文学的表現が失わました。 例えば、鈴木三重吉は「納屋」が方言であるとして、本文中の「納屋」を「物置」に修正しましたが、一箇所「納屋」のままになっている所があります。正確には「納屋」と「物置」は別の物を指すため、茂助が母屋の他に納屋と物置という二種類の建物を所有していると解釈できてしまいます。
新美南吉の草稿『権狐』は文学的な別作品として、大日本図書『校定新美南吉全集』第10巻に収録され、一般に公開されています。
以下の画像は『校定新美南吉全集』第10巻のアマゾンへのリンクになっています↓。
新美南吉の草稿『権狐』の冒頭部分によれば、口伝の伝承者は「茂助」という高齢の元猟師であり、若衆倉の前で幼少の南吉に話を伝えたとされています。 伝承者「茂助」が実在したかどうかは確認されておらず、地域の口伝のオリジナルの『権狐』は失われてしまっているため、草稿の冒頭部分も含めて全て南吉の創作なのではないかという見方もあります。 一方で、草稿の『権狐』には本職の猟師でないと知りえないような情報が含まれているため、実在の猟師の情報が何らかの形で新美南吉の創作に影響を与えていたのではないかとも考えられています。
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